里山とは?

■身近な森や林のことですが・・・ 

 21世紀が幕を開けた2000年頃から、多くの方々が里山について語るようになりました。時代が里山というものに意識を向かわせているのだと感じます。
 しかし里山との語に明確な定義がなくそれぞれが多様な使い方をしている為に、混乱が起きています。
 そこで私たち日本里山協会は、里山こそが今後の時代を拓く力を持つとの考えから、下記のとおりに整理し使うものといたします。

 まず狭義の里山とは人の手の入ったのことを指します。 この場合必ずしも地形的に山であることは問われません。
 人間の生産・消費活動の一環として利用されることのあるは、全て里山と言うべきです。しかし放置されてしまって久しいはもう里山とは言えません。 これが実体としての里山の捉え方です。

 さてこの捉え方はそこにあるを指して言うわけですから、ある意味分かり易いのですが、これだけでは今日里山が注目され議論される地点には到達できません。
 里山をめぐる今日の議論の奥には、郷愁や美しい景観として感ずるもののもっと向こう側に、より基本的な意味が隠れています。
 そこから広義の里山の概念が必要となります。それには以下の三竦み(さんすくみ)構造への認識が必要になります。

■三竦み(さんすくみ)構造で廻っている「里山システム」

 まず登場するのはをも舞台の一部として組み込んだの農業や林業などの生産活動です。次につまり権力があると同時に大量の消費と交換の場です。
 そしてもうひとつ、ここで初めて本来の意味でのが加わります。
 山=ヤマ
には祖霊の棲むところとの意味があります(ユーラシア各地に同じ意味を持ちヤマと発音する場所があります)。
 つまり人間の意識の中では山=ヤマという音が惹き起こすものに、祖霊、神などの超越した存在の居場所、言い換えれば異界を見て来たのです。
 今日もお寺は必ず「○○××寺」となっています。これはお寺がこの異界に属するものだったことを示していると考えられます。
 そしての民もの権力者も、異界つまりの力を畏怖し、季節ごとの祭りや儀式を行ったわけです。
 そのには卓越した鉱山技術を持つ異人集団、平家の落人や行者など、の民が畏怖の念を覚える人々が治外法権的なかたちで棲んでいました。
 このようにして少し前までの日本は、主に農業などの生産活動を行うと、権力と消費・交換の、そして精神的な超越した力をもつ畏怖の対象である、これらの3極が日本の社会経済の基本構成を成していたと考えられます。
         
 この3極が三竦み(さんすくみ)になって持続的に営まれて来たのが日本の社会・経済体制の特徴です。(参照:小松和彦・栗本慎一郎「経済の誕生」)
 ところが明治以降、近代化の名の下に西欧から入った「拡大発展病」が蔓延し出し、それが第2次世界大戦後の高度経済成長で一挙に日本全土を席捲したわけです。
 そして「拡大発展病」にかかった人間の目からは非効率なものに映る身近な森や林などの自然環境が、大きなお金を生む宅地や施設用地に開発されるか、忘れ去られて荒廃し消えて行ったわけです。

 しかし21世紀に入った今日、「拡大発展病」に罹っていたことに気付いた日本人が、再発見したのが地域ごとに持続的に営まれて来たとが連携した生産方式だったのですが、この三竦み構造にまではなかなか発想が広がって行かないのが現状です。
 そこで私たち日本里山協会では今後の日本の社会経済改革に力を発揮しえるものとして、地域単位で緩く自立して考えられるこの3極の三竦み構造を「里山システム」と呼ぶことにしました。
 これが私たち日本里山協会の考える広義のそしてより本質的な里山の定義です。
 つまり里山を考えるに当たっては直接関係する農業や林業だけでなく、政治、消費活動、そして精神世界も含んだ社会経済システムとして里山を見ようと考えるわけです。
 その核心はおよび農地を収奪の対象とする発想ではなく、いろんな集団が継続的に共存する場として、また継続的に自然からの恵みを維持できるシステムであることが求められます。

■里山システムを再生する

 私達が生きてきた現代社会は当たり前のように人間中心主義でした。しかし里山システムの再生にそれは通用しません。
 あくまでも人間も自然の一部であり、自然に学びながらやるのです。
 その意味で従来の過度に多収穫を意図した多くの農法は手放すしかありません。
 これは生物多様性確保の次元でも必要な態度です。
 三竦み構造を言い換えれば共生・共存の構造ですから、他の存在とぶつかる時には譲り合えるところは譲らねばなりません。
 そしてそれでもダメなときも相手を決して潰しはしないで、無視できるようにする。
 つまりそれぞれが生きられる環境を作り出すことが求められます。
 私たちは単に成るに任せれば自然は回復すると楽観はしていません。
 数百年の長期の見方に立てば潜在自然植生に戻すことも可能ですが、人間が手を付けたものは出来るだけその時代の社会経済システムに沿ったやり方で、人間が維持する責任があると考えています。
 そもそも里山の論議がなぜ社会経済システムに触れることになるのか?
 それはその時代、その国、その地域に適合する社会経済システムを切り開くものだけが、生き残れると考えているからです。
 そして現代には「山」が本来担ってきた精神的な次元の力を復活させることが不可欠だと考えています。
 現実を永続的に変えることが出来るのは、社会経済システムを伴っているものだけだと言うのが、私たち日本里山協会の考えです。
 そうした立場から私たちは自給自足生活基地Wa-arkを実現化して実際に展開することが、何よりも解かり易いと考えています。


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